Quietworksの改め文工房

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児童ポルノ法改悪 - 新党日本が暫定版マニフェストにおいて反対を表明

 新党日本マニフェストについてパブリック・コメントを募集していました*1児童ポルノ法の改悪についても反対している*2とのことで下記の通り応募してみました。

 マニフェストにおいて児童ポルノ法の改悪に反対する旨を表明されたことを歓迎するとともに、コメントの機会を与えて頂いた感謝いたします。
 児童ポルノ法については、下記の事項について考慮して頂きたいと思います。

1.流通を目的としない単純所持や実在の児童を被写体としない創作物の規制が、被写体となった児童の権利を擁護することから逸脱していることを示すべきです。
 単純所持や創作物の規制が、内心の自由表現の自由を制限するものであること、また捜査権の濫用などの弊害が予想されることは、反対派のみならず穏健な賛成派の多くも認めているところでしょう。それにもかかわらず、単純所持や創作物の規制に賛成し続けるのは、賛成派が“規制によって守られる児童の権利が内心の自由表現の自由、冤罪からの自由よりも大きい”と認識しているからです。
 ここでは、名誉毀損罪からの類推で考えるとよいでしょう。名誉毀損罪は、実在の人物の名誉を害するような事実を第三者に知らしめることを以て罪とするものであり、そのような事実を知ること又は知っていることを以て罪とするものではないし、実在しない人物の名誉を害するような事実を第三者に知らしめることを以て罪とするものでもありません。同様のことが、児童ポルノにも言えるのではないでしょうか。

2.「性欲を興奮させ又は刺激するもの」の規制に固執する現与党こそが児童の救済を妨げていることを示すべきです。
 現与党は、流通を目的としない単純所持や実在の児童を被写体としない創作物の規制に異論を唱える現野党が児童の救済を妨げているかのように非難しています。しかし、実際に被写体となった児童の救済を妨げているのは、児童ポルノを「性欲を興奮させ又は刺激するもの」として定義している現行法の規定と、それに固執する現与党です。

 現行法においては、被写体となった児童にとって「恥ずかしい映像」が流通していて、そのことが当該児童の権利を著しく侵害していても、それが「性欲を興奮させ又は刺激するもの」に該当していなければ取り締まることができません。現与党は、そのことを失念しているか、意図的に無視しています。
 もちろん、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」の閾値を低くすることで取り締まることは可能でしょう。しかし、人権侵害の悲惨さを構成要件としていない以上、ひとたび引き下げられた閾値は児童の権利を何ら侵害しない日常的な映像や芸術的価値の高い写真であっても適用されます。
 そのため、摘発の現場においては現行法の適用について慎重にならざるを得ず、結果として被写体の人権を侵害するようなものが摘発できないという本末転倒の事態になっているようです。

 一方で、現行法においては、児童が他人から求められた訳ではなく自らの意思で、自らが被写体となった児童ポルノを製造して提供した場合には、提供罪や提供目的製造罪が成立する可能性が指摘されています。他人から求められた場合であっても、児童の側に抗拒不能などが認められない場合には、児童が幇助犯又は被教唆による正犯に位置付けられる可能性も指摘されています。
 通常、名誉毀損罪などの個人的法益に関する罪においては、行為者自身が被害者となるような自損的行為については、法益の処分が認められるため、犯罪は成立しません。現行法が立法の趣旨に則って個人としての児童の権利を擁護する法律として設計されているならば、被写体となった児童が罪に問われることはありません。
 ところが、現行法は児童ポルノを「性欲を興奮させ又は刺激するもの」として定義し、提供罪を“性欲幇助罪”として位置付けています。そのため、被写体となった児童の被害者として位置付けられておらず、当該児童による法益処分が成立しません。
 また、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という構成要件は刺激の対象者を特に限定していないため、被写体となった児童とは無関係な“善良な普通人”を仮構して適用されるため、被写体となった児童に害がない場合であっても構成要件該当性が阻却されません。仮に被写体となった児童に限定されたとしても、児童が“自己の性的好奇心を満たす目的”で社会に害を及ぼす画像を流通させた罪(傾向犯)として解釈することが可能であり、ここでも被写体となった児童による法益処分が成立しません。
 このように、現行法は、児童の何らかの権利(個人的法益)を擁護するための法律として制定された経緯に反して、その法文が“性欲を興奮させ又は刺激する児童の姿態から社会を守る法律”になっています。“児童が他人の性欲を興奮させ又は刺激する姿態をとって表現することを規制する法律”と言い換えることもできるでしょう。

3.被写体となった児童の権利を擁護するという立法の原点に立ち返り、児童ポルノの定義を改めて、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」を規制する法律ではなく「当該児童の性的羞恥心を害するもの」を規制する法律として再構築することを提案するべきです。
 単純所持や創作物の規制に現与党が固執する原因は、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という構成要件に忠実に従って、現行法を“性欲を興奮させ又は刺激する児童の姿態から社会を守り、その恩恵として間接的に児童の権利を守る法律”として認識しているからであると考えられます。現与党が“被写体となった児童の性的羞恥心が害されること”よりも“児童の姿態によって何者かの性欲が刺激されること”を危険視し、提供罪や陳列罪を“性欲幇助罪”として認識していると仮定すれば、多くの不可解な主張を理解することができます。
 性欲が刺激されることを危険視しているのであれば、自己の「性欲を興奮させ又は刺激する」ために児童ポルノを閲覧する行為や、閲覧のために児童ポルノを所持する行為こそが正犯であり、提供や製造は幇助犯に過ぎないのです。幇助犯に過ぎない提供や製造が処罰されるのに正犯である筈の閲覧や所持が処罰されない現行法は、不完全なものに見えているでしょう。
 また、児童を被写体としない創作物の規制も、提供罪や陳列罪を“性欲幇助罪”として認識していることからは、必然であると言えるでしょう。児童を被写体としない“絵”であっても、自己の「性欲を興奮させ又は刺激する」行為を幇助していることには違いがありません。
 しかし、性欲や性的好奇心が性犯罪や性的人権侵害に決定的な影響を与えていないことは、統計を取るまでもなく自明なことです。性欲の存在自体を女性差別として捉える見解も、社会的合意を得られているとは思えません。

 先日の被写罪の記事*3と重複する記述も含まれています。「8月5日(水)11時迄」ということで慌てて作成したため、読み返すと一部に不自然な記述表現(1から3までの配置が逆になっているとか)があるような気もしますが、あまり拘迷しないことにします。

 なお、新党日本からは、兵庫8区(尼崎市)において田中康夫代表、東京11区(板橋区)において有田芳生氏の立候補が予定されています。

追記(2009-08-06 13:00)

 有田芳生氏は単純所持規制に賛成されているようです*4から、推薦については保留させて頂きます。但し、“しがらみ”や“こだわり”のような要素は見られず単純に抑止力と弊害を比較しているものと思われ、説得によっては方針が変更され得ることを考慮し、特に危険視もしません。
 なお、同区では対立候補下村博文氏も単純所持規制に賛成されています。

追記(2009-08-08 13:00)

 田中康夫代表は究極のアウェー*5とのことで、少し不安があります。個人的には、自身は参議院議員に留まり、兵庫8区では他の野党候補を推薦して集中的に応援したほうが得策だと思うのですが、“しがらみ”や“なれあい”を避けたい立場からは難しいのでしょう。

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