Quietworksの改め文工房

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児童ポルノ法改悪 - “事情を知らない賛成派”を“事情を知る慎重派”にするために

ブラジルのリオデジャネイロで開催された「児童の性的搾取に反対する世界会議」は当初の予想通り、児童ポルノの“単純所持”及び児童を被写体としない“準児童ポルノ”の規制を推進する主張に沿ったものとなったようです*1
規制反対派を排除して開催された*2ことから、規制推進派の主張に沿った進行は想定の範囲内ではありますが、国会の会期延長が確実な状況下*3、規制推進派を勢いづかせることは確実です。

外圧の背景

ところで、規制推進派は外圧で押し切ろうという作戦のようですが、このような外圧の背景には、規制推進派による巧妙な印象操作があると見ることもできるようです*4
陰謀論に見えるという指摘もあり得るのかも知れませんが、規制推進派が印象操作に長けているということは確かなようですし、事情を知らない一般人には、児童の権利の保護を掲げる規制推進派の主張は、それだけで訴求力があります。

何をすべきか

それでは、規制反対派は何をすべきなのでしょうか?
特定層の感情を煽って威力で押し切るべきではないことは言うまでもありませんが、これまでのように表現の自由を殊更に主張することは、規制反対派の結束を強めるには有効であるものの、規制反対派への同調を拡大するには有効ではありません。
何しろ規制推進派は、“児童の権利が表現の自由よりも尊い”ことを前提に、“規制反対派が自己の利益を拡大するために児童の権利を蔑(ないがし)ろにしている”かのような印象操作をすることにより、“事情を知らない一般人”からなる規制《賛成》派を形成してきたのですから、表現の自由を主張するほど規制推進派を勢いづかせることになります。
従って、まずは“規制反対派が自己の利益を拡大するために児童の権利を蔑ろにしている”という誤解を解かなければなりません。
そのため、規制を求める外圧には根拠がないこと、規制推進派が主張する規制案は児童の権利の保護には繋がらないことなどを、社会から信用を得られる方法で示し、“児童の権利の保護”に反対しているのではなく“児童の権利の保護には繋がらない規制”に反対しているということを、印象づけなくてはなりません。
その上で、現行法の「性欲を興奮させ又は刺激する」といった外形的な要件に頼った規定こそが児童の権利の保護を妨げていること*5、現行法の定義のまま厳格化した場合に児童自身が処罰される可能性があること*6などを指摘し、“規制推進派こそが児童の権利を蔑ろにする可能性”を示すべきです。

更に“規制推進派よりも的確かつ効果的な対案”を提示し、“規制反対派こそが児童の権利を保護するべきだという態度”を表明すべきです。
例えば、「性欲を興奮させ又は刺激する」といった外形的な要件に頼って規定するのではなく、強制わいせつ等の具体的な加害行為の派生物(或いは名誉毀損等の特例又は特則)として規定し直すというのは如何でしょうか。
併せて、準詐欺罪のように「未成年者の知慮浅薄に乗じ」た場合を準強制わいせつ等の処罰対象に加えれば、“児童の権利を侵害するポルノ”を、現行法よりも的確かつ効果的に規制することができるのではないかと思います。

最後に

規制反対派への同調を拡大するためには、“事情を知らない一般人”からなる規制《賛成》派を“事情を知る一般人”からなる規制《慎重》派にする他はありません。規制反対派は、そのことを念頭に置いて、この難局に立ち向かうべきではないでしょうか。


補足(2008-12-06 17:58 追記)

規制推進派が「“規制反対派が自己の利益を拡大するために児童の権利を蔑(ないがし)ろにしている”かのような印象操作」をしているといっても、規制反対派を貶める風説が意図的に流布されているということではありません。
“児童の権利が表現の自由よりも尊い”という前提が広く受け入れられる状況下、規制推進派が“児童の権利の保護”を掲げた時点で、規制反対派が“表現の自由”を掲げれば不利になるような罠が成立しているということです。
規制推進派がどこまで意図したのかは定かではありませんが、規制反対派は“表現の自由”と“児童の権利の保護”を対立させる罠があることを意識しなくてはなりません。

更新履歴

  • 前の版: なし
  • 2008-11-29 19:28 児童ポルノ法改悪 - “事情を知らない賛成派”を“事情を知る慎重派”にするために