Quietworksの改め文工房

このブログは結果無価値論者の改め文遊びを淡々と晒すものです。過度な期待はしないで下さい。

刑法学と性的自由と表現規制の不幸な関係 (1) 誇大広告としての「性差解消」と現行法を過小評価する「厳罰化」 (1/2) #刑法 #性犯罪 #表現規制

「厳罰化」は現行法の過小評価

今国会に提出され、共謀罪法案の可決後にも審議入りするとされる刑法改正案は、性犯罪の「厳罰化」と「性差解消」を謳っていて*1表現規制反対派にも同調者が多いことだろう*2

ただし、この「厳罰化」は、現行法をやや過小評価している。強姦罪の懲役刑の上限は現状でも20年であり、これは改正後も変わらない。懲役20年は、決して軽いとは言えない。変わるのは下限で3年から5年に引き上げられるが、できなかった量刑判断ができるようになる訳ではない。「厳罰化」という表現からは、あたかも現行刑法が性犯罪を軽い罪として扱っているかのような印象を受けるが、決してそうではない。

男性にとっての「性交」と女性にとっての「性交」は同一か?

「厳罰化」と言ってよさそうなのが、現行法で「親告罪」とされている行為と、「強制わいせつ罪で処罰される行為のうち、悪質性の高い一部の行為」で、特に後者が「性差解消」と称して「強姦罪」改め「強制性交等罪」に繰り入れられるのだが、この「性差解消」が、法益侵害性を基準に捉えた場合、疑わしくなる*3

確かに、暴行や脅迫を用いたり、心神喪失や抗拒不能に乗じて行われる「性交」は、男性も被害者たり得る。身体能力や感情を無視した「性交」は、男性であっても心身に有害な影響が残る。現行法においても「強制わいせつ罪」として処罰されていて、法定刑も決して軽いとは言えない。

ただし、男性には膣がない。「肛門性交」や「口腔性交」は別として、通常の「性交」で他人の体や異物が自分の身体の中に入ることはない。自分の身体が他人の身体の中に入る男性にとっての「性交」と、他人の身体が自分の中に入る女性にとっての「性交」では、心身への影響が違う。この点で、「性交」には初めから「性差」がある。仮に両者が等価に見えるとすれば、それは恐らく第三者の視点に凝り固まっていて、当事者間の利害関係として捉えられなくなっているからであろう。

そして恐らく、男性にとっての「性交」よりも、女性にとっての「性交」の方が心身への有害な影響は大きい。そうであるならば、前者の加害者である女性よりも、後者の加害者である男性が重く罰せられるのは、比例原則の観点から一定の合理性がある*4

生物学的な「性差」があるにもかかわらず改正案は、両者を「強制性交等罪」として、同じ法定刑で評価する。あるはずの「性差」をないかのように評価するのであれば、「解消」ではなく「隠蔽」であるし、女性のみが比例原則を超えた重い法定刑で処罰されるのであれば、それは新たな「性差」である。「性差解消」は、誇大広告か、下手をすると虚偽広告である。

また、男性にとっての「性交」は、別の言い方をすれば、男性器を外側から締め付けられるということである。男性器を外側から締め付ける手段は、通常の「性交」では膣だが、肛門や口、手なども手段となりうる。「肛門性交」と「口腔性交」は今回の「強制性交等罪」に含められたが、手で男性器を締め付ける行為は、改正後も「強制わいせつ罪」のままである。

衛生上の問題がある「肛門性交」は別格としても、口で男性器を締め付ける「口腔性交」と手で男性器を締め付ける行為の間で法定刑に差を設ける合理性は見出せない。「口腔性交」を「強制性交等罪」から外すか、「手性交」を「強制性交等罪」に含めて法定刑を引き上げるなどの対応が必要になるが、仮に後者を採用すると、次は女性の胸を揉む行為との法定刑の差が問題になり得る*5

従って、仮に「強制わいせつ罪で処罰される行為のうち、悪質性の高い一部の行為」を「性差解消」と称して「厳罰化」をするのであれば、男性が被害者となる場合であっても、他人の身体や異物が自分の中に入る状況を原則としつつ、衛生上の問題や性的羞恥心の問題を加味しながら定義することが望ましい。

続きを読む

*1:<刑法改正>「強姦」を「強制性交等罪」に変更へ 性差解消 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

*2:例外は[twitter:@stop_kisei]さん辺り。【非親告罪化の脅威】性犯罪を厳罰化=刑法改正案を閣議決定 - 立憲民主主義と日本国民の安全を考える有志のブログ

*3:法益侵害性を基準に捉える理論体系を、刑法学では結果無価値論という。結果無価値論は比例原則や因果的共犯論と相性がよく、表現規制反対派にとって有利な理論体系だが、残念ながら同派の主流とはなっていない。同派の主流は明らかに行為無価値論、それも形式的違法論の色彩が強いものであり、保護法益という語を用いながらも、外形的要件だけで定義したり、事後従犯説や違法状態維持説を容認したりと、お世辞にも同派にとって有利に働いているとはいえない。

*4:比例原則について言及する刑法学者はあまり多くないが、これがなければ、例えば窃盗罪と殺人罪の法定刑の差を説明することができない。別の言い方をすれば、万引き犯と無差別大量殺人犯に同じ刑を科すことが望ましいということになる。比例原則は、人の権利を制限し、又は人に義務を課す場合の一般原則である。

*5:なお、女性にとって、膣に男性器を挿入されることと異物を挿入されることの間に大差がないか、物によっては後者の方が有害であることは容易に想像がつくが、これも「強制わいせつ罪」のままである。定義がいまだに大正時代?刑法における「強姦罪」見直しの問題点とは | 渋井哲也オフィシャルブログ「生きづらさオンライン」Powered by Ameba

刑法学と性的自由と表現規制の不幸な関係 (1) 誇大広告としての「性差解消」と現行法を過小評価する「厳罰化」 (2/2) #刑法 #性犯罪 #表現規制

そもそも「性交」と「姦淫」は同一か?

ここまで、何の説明もなく「性交」という語を用いたが、現行法は「姦淫」という語を用いている。改正案では「姦淫」を「性交」と言い換えた上で、罪名も「強姦罪」から「強制性交等罪」に改められる。

「姦淫」の場合、「男女の交わり」の前に「不正な」という修飾語が付く*1。外形的要件とは別に何らかの実質的な反価値性を求めている。「性交」の場合、「不正な」という修飾語は付かない。単に「男女の交わり」であり、純粋に外形的要件だけで定義している*2。改正後の「強制性交等罪」においては、「性交」以外の要件だけで違法性を説明することになる。

確かに、「性交」と判例上の「姦淫」の違いは、加害者が「暴行」や「脅迫」を用いたか、被害者が「抗拒不能」や「心神喪失」だったかなど、加害者が「性交」に至る過程や被害者の状態・身分だけである。これらが「姦淫」とは別に規定されている要件であることを考慮すると、「性交」との関係は、意味の違いではなく、単なる使い分けということになり、「姦淫」を「性交」と言い換えても運用上の大きな変化は起きない。社会通念的にも、「性的好奇心」のような不道徳な動機に基づくことを「不正」と捉える保守的な考え方が主流となっていて、この場合に至っては、「性的自由」を重視する観点から、むしろ言い換えた方がよいという結論に至る。

しかし、前述の比例原則の観点を持ち込むと、やや事情が異なってくる。「性交」が「不正」ではないことを前提にすると、「強要罪」と「強制性交等罪」の法定刑の差の説明が付かなくなる。

「暴行」や「脅迫」を要件とする犯罪は、他に「強盗罪」が挙げられる。「強要罪」と「強盗罪」の間の法定刑の差は、後者が相手の財産を失わせる行為であることから説明が付く。「暴行」や「脅迫」によって相手の意思を侵害しただけでなく、財産権を侵害したからこそ、刑が重いのだと。「強要罪」と現行の「強姦罪」の間も、「暴行」や「脅迫」だけでなく、「姦淫」自体に何らかの「不正」があるという暗黙の了解があるからこそ、重い刑が容認されている。

そして、被害者にとっての「強姦罪」と「強要罪」、「姦淫」と通常の「性交」の違いは、恐らく、心身への有害な影響の深刻度であろう。被害者は、「強要罪」で生じないような身の危険と性的不快感が生じたからこそ重い刑を求めているのであり、単に意思に反しているからという理由で重い刑を求めているのではない*3。「強姦罪」とは、「自由に対する罪」と「身体に対する罪」、それに「性的羞恥心に対する罪」が結合したものであり、これを「性的自由に対する罪」の一言で片付けるのは早計である。

ここで、もう一つの問題点が見えてくる。「強姦罪」が「強制性交等罪」に、「姦淫」が「性交」に改められることで、前述の「不正」という要素が抜け落ち、「強姦罪」が単なる「性的自由に対する罪」になってしまう。語呂の悪さもさることながら*4、「これをするな」というメッセージが弱まり、外形的な同意の有無だけで行動したり、或いは有罪・無罪の評価を下すようになる。これは、性犯罪の抑止という観点からは問題視されるべきではないか*5

無論、現行法の「姦淫」という語も何を以て「不正」とするのかが不明瞭で、一歩間違えば「性的好奇心」のような単に不道徳な動機に基づくことを「不正」と捉える前近代的な解釈に戻りかねない。だからといって、より不明瞭な方向に改正するべきではないだろう。

「姦淫」の現代的意義における「不正」とは、前述の被害者にとっての「強姦罪」と「強要罪」、「姦淫」と通常の「性交」の違いを踏まえるならば、身体や性的羞恥心に対する侵害や危殆化を回避すべきであるにもかかわらず、その原因となる行為をしたことである。回避すべき結果を予見して実際に回避するプロセスこそが重視されるべきであろう。

従って、もし「姦淫」という語を使いたくないのであれば、行為の外形的要件だけでなく、回避すべき結果、危険の発生を条文に書き込んで具体的危険犯に近い形で規定すべきである。これにより、「性的羞恥心に対する危険を生じさせた」から「強要罪」より重く、「身体に対する危険を生じさせた」から「強制わいせつ罪」よりも重く罰するのであると宣言することが可能になる。(続く)

更新履歴

  • 前の版: なし
  • 2017-05-24 28:00 刑法学と性的自由と表現規制の不幸な関係 (1) 誇大広告としての「性差解消」と現行法を過小評価する「厳罰化」 (2/2) #刑法 #性犯罪 #表現規制

一括表示 始めに戻る

*1:広辞苑』の場合

*2:余談だが、「性交」には、「常にお互いの合意による」という要件もない。「不正な」ものや「合意と尊重がない」ものに「姦淫」や「性暴力」という語があるたために「性交」という語が使われないだけで、あくまで「性交」が上位概念、「姦淫」が下位概念である。

*3:はずである。

*4:もう少し造語力を磨くべきである。あと、括弧書き定義やナカグロも刑法の条文としてはイレギュラーである。

*5:このコメントが参考になった。強姦罪のままで良い。語呂も悪く、意味が伝わりにくい用語では軽い印象になる。言葉は時代と共に意味も変る。条文の修正だけで問題ない。反対。 - daisukejapanのコメント / はてなブックマーク